鈴木等(以下H):そうだ、この間のフードクラブバンドのライブの時に話に聞いてたので・・
ご結婚おめでとうございまーす!!

パチパチパチ

H:いつ結婚したの?

仰木くん(以下O):7月の終わり。

H:(ご祝儀を渡しながら)これで晩ご飯のおかずの足しに。笑
晃代さんがいたら晩ご飯のおかず2品になってたと思うけどね。

O:ありがとうございます。笑

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H:結婚式は?

O:結婚式はまだやってなくて、来年とかになっちゃうけどやりたいなとは思っているんですけどね。
今から決めると半年以上先にならないと取れないから。

藤原さん:ホテルニューオータニでやろうよ

O:笑

H:それじゃ、まず、ペチに来て何年、というか知って何年くらい?何年前だ・・?

O:んーたぶん、一番最初は、高校生くらいの時に・・

H:仰木くんは今何歳?

O:えっと、31です。この間なったばっかり。初めて来たのはだから高校生位の時で。
その雑誌(今は休刊中の地域雑誌 「谷中・根津・千駄木」谷根千)を配達しにきてて
その時結構、号によって僕の配達する場所が違かったんですよ。
ルートが固まって10個くらいあるんですけど、たまたまペチコートレーンは僕のルート外だったんですよね。
他の人が行けてなくて『ちょっと回ってきて』て言われて初めて来たんですね。
そしたら(晃代さんは)自分のこと知っていて『大きくなったわね』って言われて。笑

H:なるほどね、それが12年位前か。

O:そうですね、10〜12年前だと、19歳だからもう少し前ですかね。

H:インタビューした中では一番古いかな。

O:あー、でも並木さんの方が古いですね。笑

H:そっか、並ちゃんの方が古いか。でも、まぁ、古いよね。

O:あのー(並木さん)インタビューで昔の常連さんが離れて行くって(笑)段々下品になっていくからって。笑
そういう歴史があったんだーって。
最初に僕が配達で来た時は配達するだけで帰ってたんですけど、ちゃんとお店に来たのは、
たぶん同級生と一緒にどっかで飲んで地元に帰ってきて、練習か何かして
楽器もって、ここだったらまだ遅くまでやってそうだなーと思って、勇気を出して入ってみた所
なんかおじさん達が楽しそうにギターを弾いていて。笑
それで一緒にセッションして。

O:それは大学生の頃?高校生?

H:いや、大学生ですね、普通に酒飲んでたんで。笑 たぶん、大学1年の時かな。
小川くんて小学校からずっと一緒の友達が五弦ベース弾いてて、で、
なんか、ここに来てスゲー重宝されて。笑

H:それは、並ちゃんが居た時かな、オレまだ居なかった?

O:いや、もう等さん居たと思いますよ。

H:そっか。えっとでは次にペチに来て印象に残ってる出来事は?

O:出来事・・んー。そうですね、ん〜。最初の来た時のことですかね。
びっくりしましたね。千駄木にこんなお店があるんだーと思って。笑
知ってはいましたけど、お店の全貌は分かってなかったので。 こういう感じだったんだーと。
10年か9年前に同級生と来て、等さんも来だした位ですよね?

H:そうだね。来だしてからここにべったりだったから。

O:そう、じゃ、最初の頃だったんですかね、ひたすらここでずーっと営業中ギター弾いてるから
で、なんか『はい、ほらもう終わり』とか言われてて。笑

H:そうだよね、オレも含めてだけどみんな40代だったから2時とか3時位まで飲んでたからね。
ペチが気になって来るようになってライブをやりたいというのは晃代さんに直接交渉したの?

O:だと思います。そう、なんか外から見てると敷居が高そうでおしゃれそうだなーと。
入りづらいなと思ったんですけど、入ってみたら『うちはノルマとかないから〜』って言われて。
そんですごいいいなーと思って。笑

H:で、この位の時かな。谷根千ボーイズで、ふれあい館でもやってたりしたじゃない?覚えてる?

O:ふれあい館・・。あ、練習ですか?

H:いや、ライブ

O:あー、ふれあい館祭りに一回出た事あります。笑 なんか地元の三味線とか弾く人とかでてて、
殆どカルチャーセンターの様な感じで。
そんなドアウェイでやって。おばあちゃん達がボーッと聞いてる感じで。笑

H:でも、それオレ見に行ってるんだよ。背のデカい男の子がヴォーカルで出てて。
そう、谷根千ボーイズはいつから活動していたの?

O:谷根千ボーイズは、2007年頃、1〜2年ですかねー。
ショウブンって奴がいるんですよ。
僕の一番最初っからの同級生の友達で養源寺(千駄木5丁目にあるお寺)ってお寺の息子なんですけど。
その彼とはずっと一緒にやってたりして、で、ヴォーカルのデカいやつは【歌スタ】って言う昔深夜にやってたテレビの番組があって、
それに合格して【日暮し】って名前で2人組でデビューしたんですが、よくある話でシングル1枚しか出してくれなくて
その後アルバム作ってるって言ってくれてたらしいんですが、作ってくれてなくて、ほっぽられてたみたいで。笑
でも、どうにか活動したいからって言ってて、で、『仰木さんなんかギター弾いてよ〜』って言ってきて。
それで、じゃ、二人(ショウブンと)でサポートするかって感じで活動初めて。
本当はだから最初4人組だったんですけど、その内に1人「俺、普通に仕事するわー」って言って。
で、3人になって。笑 それから谷根千ボーイズって名前で活動することになって。

H:谷根千ボーイズではライブは何回かやったの?

O:1回だけ。

H:1回だけだっけ?

O:あんまり・・あの〜緩いバンドだったので。笑

H:地元のね、仲間でやってるという感じのバンドだったよね。千駄木小学校の同級生のね。
そんとき位に、【坂】を歌ってたんだよね。で、晃代さんが凄いいい歌だって言ってて。

O:あのー【坂】は割とラブソングだと思われる時があるんですけど、家のお父さんが亡くなった時に作った曲なんですよ。

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H:お父さんが亡くなったのはいつ?

O:お父さんが亡くなったのは、たぶん7回忌やったと思うので、そうですね、2007年頃ですね。
そう、なんか、あの時、葬式をしなくて。

H:散骨みたいなこと。

O:いや、式自体をやらなくて家で密葬・・って言うんですかね、そういう形にしたんですけど
その後に、送る会みたいなのをやるということになって、家の母親がピアノの教室をやっていて。
父親が亡くなった事によってその教室の発表会が延期になっちゃてて、で発表会をやる時に
『あなたも(音楽)やってるんだから、やりなさい』ってなって。笑
それで歌う事になったので、その時に作ったんですよ。

H:わかった、それがどこでみたか忘れちゃったけど、映像で残ってて
お母さんがピアノ弾いてて、仰木くんがピアニカかピアノ弾いてて。。。

O:あ、うんとね、それはまたね、違うやつで、谷根千が終る時ですね。
ギャラリーTENという所で1週間くらいやったイベントの映像ですね。
送る会は九中の近くの区民センターでやったので。。【坂】は自分としては暗い曲だなと思ってて
なんか、もうやることもないだろうと思ってましたね。笑

H:笑。まぁ、大きな意味ではラブソングだよね。
あの、ゆずちゃんの時にも話したんだけど、【坂】を貰って晃代さんの病室持って行って聞かせて
然う斯うしてるうちに体調が悪化して亡くなっちゃって、仰木くんには了解とらなかったんだけど
告別式の最後、この曲流したんだ。

O:光栄です。

H:告別式だったから人がいっぱい来たんだけど、『あの曲いいね、誰の曲』って言ってくる人が居て。
仰木くんって言うんだよ、って話したらCD買ってくれた人がいたんだよ。

O:へーお葬式で流して売れるっていう。笑

H:ははは。微妙だよね。笑

O:いえ、いえ、いいことですよ。笑

藤原さん:ふふふーん。このさ、【坂】っていいんだよー 坂、坂〜♪

O:ありがとうございます。笑

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