H:では、谷根千ボーイズをやった後にペチでやったライブは?
O:あとはー・・何やったんだろう。1人でやったのかな・・
H:フードクラブバンドでやる前の、東京コンプレックス。
もしかしたら全部じゃなくてベースの彼を交えてとかだったかも。
O:やりましたっけ?やったかもしれないですね。
あと・・公哉クン(HYOGEN)ともやってますね。
んーいやでもあともうちょっとライブやってると思います。
H:オレとここでやったことなかったっけ?
O:等さんとは・・テレビの撮影でやりましたよね。笑
H:あ、テレビの撮影ね。BSの番組が来て、その時にちょっと一緒に【坂】をやったのかな。
O:それと等さんとやったのはReCafeとmaruちゃんですかね。あとは、近藤さんと古書ほうろうでやりましたね。
■等さん近藤さんとほうろうでライブをやったきっかけは?
O:そう、だからこれは【坂】のレコ発で“いかんせん谷根千”ってツアーで最初が安田邸でやって、
で、それで2回目がほうろうでその後が根津教会で、谷中ボッサで養源寺っていうので5カ所でやったんですけど、
地元のおじさんを先輩方を集めて面通ししておかないとなーってことで。筋を通さないと思って。
お前チャラチャラやってんじゃねーよって思われないように。笑
H:笑 そうそんなところで、おれと近藤さんでやることになって。
O:等さんにはPAとしても一緒に回ってももらってて。
H:そう、この時に一緒に話して、地元で地元の人たちに音楽を聞いてもらいたいって気持ちが凄くあったみたいで
それをやるってことで地元で回ろうってことになって。
O:丁度だから、【坂】を出すちょっと前に谷根千が休刊しちゃって。
で、最後の号を配ってる時に『なんだ、兄ちゃん継がないのか、書かないのか』なんて言われたんだけど(笑)
僕は運ぶ専門だったので・・。違う形で谷根千的なモノをやりたいなって言うのがあって、谷根千ボーイズを作ったんですよね。
だから場所も渋谷とか地方とかでやるんじゃなくて、むしろこっち(谷根千)に来てもらってという形でっていう。
養源寺でやった時もわざわざ大阪から来てくれたりした人もいて。
H:その時はもう在日ファンクやってたんだっけ?
在日ファンクはどのくらいやってる?
O:在日ファンクは。。えー振り返った事ないな。笑 えーっと、たぶん2006年くらいからのはずです。
H:そうすると8年。
O:そうですね。あ、7年か2007年から。【坂】を出したのは震災の年なので2011年か
H:そうすると、お父さんが亡くなった辺りから在日ファンクやりだしたってことかな。
O:そうですね、亡くなるちょっと前ですかね。あー、そうそう、だからやってたはやってたけど
CDだしたのは2007年だったと思います。
H:トントン拍子ってわけでもないけど・・トントン拍子だったよね・・?
O:まぁ〜・・そう・・ですかね。あーそう昨日、丁度NHKのラジオ番組で1時間半を2週に渡ってやる番組を録ってきたんですけど
在日ファンクを振り返ったりとかしつつ、パーソナリティも自分達だけで
自分の生まれ育った環境から一番最初に影響受けた曲とかかけたりして、まぁ色々あったけど、トントン拍子ちゃ、トントン拍子。笑 ですかね。
H:最初の頃とかツアーとか結構回ったの?
O:いや、なんか企画バンドみたいな感じだったので、続くと思ってなかったんですよ。
ハマケンの誕生日企画を大阪でやるみたいなことになって、250人くらい入る所でソールドアウトしちゃって。
で、それにバンドをやりたいってなって、連れてかれて、バンドやるんですけど、ライブ中は40分くらいだったんですよ、JBのコピーとかやったりして。笑
40分終った後何するってなったら、彼が真ん中にあるカウンターに乗っかって、
それをみんなで色紙に彼の絵を書くっていうのをやって。笑
それを入り口で渡して『おめでとう』いうのをやったんですよ。笑
・・ていうような会があって。そしたらギャラ貰えたんですよね、25,000円も貰えて!で、
『これなら、またやるよー』って言って。
じゃぁ東京でやろう!ってなって東京でやったらお客さん5人くらいしか来なくて。笑
地方行くと結構人が入るのに東京で全然入らなくて。
でもずーっと耐えてやってたんですけど、そしたらマネージャーになるやつが元々ブッキングの会社やってて、
で、彼が『何か企画やりましょう』っていって企画を持ってきて、その内マネージャーになって
それで段々こう軌道に乗ってきて『よし、じゃバンド作りますか』ってなって、スケジュールをちゃんと組むようになって初めて〜って感じですかね。
H:せっかちな人がいなかったんだね。
O:え、どういうこと?
H:いや、早くデビューしたい!とか言う人いなかったのかなと
O:あー、全然もう、バンドなんか作ったらダメだろうみたいな、モノマネじゃん、みたいに思ってて
そんな感じで最初やってて。趣味の延長じゃないけど。それぞれ他でバンドやってて
それのストレス発散としてやりたいことやるみたいな感じなのかなーと思って見てたんですけど
意外と本気になってきて・・でずっと続いてるっていう。
H:俺たちの世代はJBとかブラックミュージック流行ってたけど、仰木くん達の世代ではどうなのかな。
O:そうですねー・・。おれは自分としてはギター始めた時に、ロック聞くじゃないですか
でもなんかロックがピンとこなかったと言うか、どっちかというと、かっこいいけど、オレには無理だな思ったんですよ。笑
H:激しい感じが自分と合わない?
O:そうそう、なんか弾き倒すみたな。笑
あれが、かっこいいんだけど、オレは・・多分出来ないだろうって感じがして。笑
養源寺のお兄ちゃん達がDJやってたんで、ジョージ・ベンソンとかの音源をかけてくれるんですよ。
おーこんなのあるんだ。っていう感じから入っていって・・。
だからJBはその頃意識して聞いてたっていうことはなかったんですよ・・。もっとメロウな感じが好きだったですかね。なんかソウルとか。
H:オレもなんか仰木くんのサウンド聴いてるとダニー・ハザウェイとかの柔らかいソウルを感じるよね。
JBみたいなあーいうファンクでガンガン行くって感じではないよね。
O:エレキギターを後から後から必要に迫られてやっていった感じで、元々アコギをずっとやってたので。だから(エレキ)最近ですよ。
H:オレらの世代でJBのサウンド聴いた時は衝撃的で、オレもディスコで聴いてて。JB聴いてぶっ飛んで、なんじゃこりゃーと思って。
高校くらいまでずっとJBとか聴いてたけど、これで仮にバンドやりたいと思ったとしても、メンツ集まらなかったと思うよ。
ああいうホーンセクションなんてやる人いなかったからね。そういう人材がいるっていうのが、仰木くん達の世代のレベルの高さだよね。
O:うん。確かになんか、その等さんの時代の当時の事はわからないですけど、今は管楽器やってる人も沢山いるし
学校でやってるのから逸れてくって道も確率されてきてますからね。
H:オレらの頃は吹奏楽部に居て、逸れていったとしてもファンクじゃなくてジャズだったと思うしね。