■ところで尾形さんはなぜベースを始めることにしたんですか?

O:俺、元々、吹奏楽部だったのね。
最初はパーッカションだったんだけど、
最終的にはチューバをやることになって、その頃ってやっぱ、
ブラスロックのシカゴとかチェイスが流行ってて、
先輩に『お前、エレキベース買え』って言われたのが
高校1年の時。
高校の時は学内でやってたけど、
大学に行ってからは楽譜が読めるから
即、キャバレーですよ。即仕事だった。
みんなが音楽聞いてる時に、譜面見て音楽ずーっと弾いてた人
って感じだった。
だからその頃の音楽全然知らなくて。聞いてる暇が無かった。
だいたい、1,000曲入ってる本があって、
それをパッと開いて、それを3度上げとかさ、
2度下げとかスグやるとかやって。
それでー、一応、大学終わって、『アメリカ行っちゃおうかなー』
って言ったら、親に大反対されてさ、日本にいろって。
で、マグロ屋さんになって、朝は3時から働いてお昼には終わる。
夜はなんとでもなるから、夜な夜なあっちこっちで演奏して

H:タフだったんだね。2,3時間寝て仕事行って。

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O:寝ないで行った日も結構あったもん。
それで、上馬にクルーズっていう楽器屋があるんだけど、
そこに凄いメンツが集まるワケよ。
一番有名なのは山本恭司とかさcharちゃんとかさ凄い人たち
がいっぱい居て、その中のペーペーに俺も混ざってたんだけどね。

H:おれ、クルーズって知らないんだけど、誰がやってたの?

O:ベスタクスに居た人。
70年代後半から楽器業界にいたひとなんだよね。
椎野さんとかタカギズホームの高木さんとか、あの一派。
マグロ屋を4年で辞めてクルーズ関係でポンッと仕事貰って
そっから仕事になっちゃんだよね。
俺、2001年からずっとスケジュール残してるんだけどね、
近藤さんの助っ人やったのもちゃんと残ってるしさ。
結構やってるんだね、俺。笑
全然忘れてたけどさ。

H:まぁ、仕事だからね〜。
Digabitsの結成はいつ?それと名前の由来は?

O:いや〜、あまりものの集まり。笑
昔SHOGUNってバンドがあってそこにいた
ケーシー・ランキンって人とバンドをやっていたのね。
河辺と俺と李さんで。(ケーシーさんが)亡くなる直前まで。
ケーシーさんとやってる時の名前が
Casey Rankin and The Diggersだったのね。
3人になったからbitsになったの。

■ペチでやったライブで一番覚えてる、印象に残ってるライブは?

O:覚えてる・・。何かな・・。
やっぱ、アンプラグドかな。
アンプラグドだね、
いや・・俺はもの凄い不安感があったから。
あの、神戸の震災の後、向こうのミュージシャンが仕事無くなって
みんな東京に流れてきたら。
さらに規模が大きかったでしょ、311は。
関東の人も大分やられてたから
あーこれもうヤバい事になるかなと思った。

H:原発の事もあったしね。

O:本当にヤバい事になると思ったからね、
でも、あそこ(3月19日のライブ)でやらなかったら
更にしょぼくれた事になってたかなって思うね。
あれはもう(スケジュール)入ってるんだからやろうよ、
って言って。
形はどうにしても、何とかやらないとって。

H:どこもライブハウスは自粛してたから
そういう意味に置いて
震災後最初にライブやった所かも知れないね。笑

O:で、義援金もちゃんとだしたしね。町会の人に頼んで。

H:文京区の区議の人だよね。

O:後でちゃんと領収証来たよね。

H:あー、あと
なんか聞きたかったんだよね、おがっちゃんに、何か肝心な事。

O:え、何、何?

H:なんか、なんだっけ。。

O:俺、今日なんかオシャレしちゃってんだから。笑

H:いつもと違う、(服が)ホワイトだぜ。
ハートはブラックなのに!笑

O:何言ってんだよ!ハートじゃねぇよ、
ブラックは腹だろ!笑
馬鹿言ってんじゃネェよー。

H:そうでした。失礼しました。笑
音楽の事も聞きたかったし、
おがっちゃんのやりたいことも聞きてみたい。

O:やりたいことは・・・。
毎日酒飲みたい事だね。てか、飲んでる。笑

最後に(恒例の)尾形さんの好きなタイプは?

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O:好きなタイプ・・。容姿は・・メーテルですよ。笑

H:えぇぇ!メーテルなの!?笑
そんな、また綺麗ごといっちゃって! !

O:いや、だって!そりゃ、これ録音されて残るんでしょ!笑